“りえママ”と歩んできた壮絶な人生。母死去後、宮沢りえの恋愛は?

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“りえママ”死去・宮沢りえの離婚騒動など

最近ではバラエティのレギュラー(『ヨルタモリ』)をも務めるようになった女優の宮沢りえさん。

彼女は2014年秋、所属する芸能事務所の代表取締役であり、母親でもあった“りえママ”宮沢光子さんを亡くしています。死因は肝腫瘍でした。
りえさんはオランダ人とのハーフで、幼少期は伯母の下で従兄弟と共に育ちました。
お母様は一時期、オランダに住んでいたようです。その後オランダの家族との折り合いが悪くなり、帰国。それからはりえさんを引き取って女出一つで育てていたようです。

 

週刊誌が報じるところによると、りえさんのお母様は離婚後、ピアニストである男性と結婚。男の子を出産しています。つまりりえさんには異父兄弟がいらっしゃるようですね。出産後、りえさんを連れて出て行ったまま音信不通とのことで、いまだに宮沢さん母娘との交流はないようです
そしてりえさん自身もお母様と同じように、2012年、当時2歳の娘を連れて家を出て、離婚調停を起こしています。親子だと、どこか結婚に対する姿勢も似てくるのでしょうか…。

壮絶! 驚くべき“りえママ”の手腕ぶり

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言わずもがな、りえママと言えば“ステージママ”のイメージを築き上げた人。
デビュー当時からお母様自らが芸能界が集まる六本木の飲食店に出入りし、積極的に芸能界への売り込みを働きかけていたのだそう。過去には北野武のもとに行かせ、枕営業をさせようとしたこともあったというから驚きです。

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話題を集めた「ふんどしカレンダー」や、1991年、18歳の時に衝撃を呼んだヘアヌード写真集「サンタフェ」なども光子さんのプロデュースによるもの。「サンタフェ」は155万部を売り上げたベストセラーで、日本における芸能人写真集の最高売上部数として記録に残っていて、いまだに破られていないというから凄いですね。

宮沢りえさんの過去と今・奔放な恋愛歴

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りえさんの熱愛報道について最も話題を呼んだのが、1992年の貴花田との婚約発表でしょう。
二人揃っての婚約記者会見を発表しましたが、結婚後に引退を考えていたりえさんと、仕事を続けさせたいお母様との意見があわず、藤島親方夫妻との仲もギクシャク…。ついにはりえさんが藤島部屋に駆け込んでしまう“家出騒ぎ”にも発展しました。

婚約解消後は、中村勘九郎(のちの・勘三郎)さんと不倫、1994年には自らの手首を切る“自殺未遂”を起こしたり、激やせ状態が続く“拒食症の噂”が流れたりなどと、一時期は芸能活動休止状態だったようです。

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その後も男性との噂は数多く、市川右近さんやサッカー選手の中田英寿さん、市川海老蔵さん、DA PUMPのISSAさん、演出家のデヴィッド・ルヴォーさん、ジュエリーデザイナーの幹田卓司さんとの熱愛の噂がありました。中にはその場限りの親しい仲という場合もあったでしょうが、いずれもが、りえママの反対にあい、長く交際が続かなかったと言われています。

りえママが亡くなった、離婚協議中の2014年、熱愛が発覚したお相手は12歳年下の俳優・小久保寿人さんです。りえさんの娘さんも公認のようで自宅マンションに宿泊する間柄とのこと。お二人が手を繋ぐ姿が目撃されているようですが、マンションに宿泊したのはマネージャーや友人もいたということで、熱愛報道を否定しています。さすがに離婚協議中の恋愛は公にできないといった所なのでしょうか。彼女の今後の恋愛の行く末が気になる所ですね。

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